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editalk #3 + RUBYORLA

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いよいよ今月NEWアルバムのリリースを控えたアライさんにインタビューさせて頂きますルビオラと申します。今回こういう場を与えて頂きましたのには、私のやっておりますユニットHarpOnMouthSextetの近々リリースされますアナログEPにリミキサーとして参加して頂いたという経緯などもありまして、以前から氏との交流はあるのですが今回は改めましてという気持ちとまずは10周年おめでとう御座いますという事で宜しくお願いします。えー、話の流れとしては、デビューに至るまでの10年(過去)→デビューしてからの10年(現在)→これからの10年(未来)といった切り口でアライさんに迫ってみたいと思います。
PROFILE/ RUBYORLA(ルビオラ)
京都在住。YMO原体験をきっかけに音作りを始め、様々な活動・名義を使い分け現在に至る。
2004年にRUBYORLA名義のアルバム「Samplin Somethin」をリリース。
2005年にはRATN(riow arai+tujiko noriko)のアルバムに参加。
2006年にHarp On Mouth Sextet名義でのアルバム「銀盤四季調」をリリース。
今秋にはそのユニットのRiow Arai、ALTZ両氏をremixerとして向かえたアナログをリリース予定。
http://rubyorla.jugem.cc/




solidstateルビオラ(以下ル)「まずは過去からということで、最初に聴いたYMOの曲って何ですか?」

リョウ・アライ(以下リ)「まずメディアでは知らなかったんですよね。これ流行ってるっていうことで「Solid State Survivor」と「増殖」を突然レコードで聴いて知ったわけです」

「あー、音先行で」

「だからいきなりTOKIO!みたいなことで。1980年ですね。あのボコーダーっていうのも聴いたことなかった音なんで。普通に歌謡曲とかザ・ベストテンみたいなのしか観てなかったから」

「そのボコーダーの音が最初に違和感というか、これは何だ?と思ったというか」

「でも全部ですね。ボコーダーから始まってシンセの音とか今まで聴いたことないような感じだったし、あとジャケットの雰囲気というか、雀卓で人民服でマネキンがいてみたいな、あと増殖の人形とか。兎に角ヴィジュアルと音が今まで見たことないようなものだったから。普段耳にしてる日本の歌謡曲とかに比べると明らかに何かが違うというか。それでその前に歌謡曲ではないロックとかも、そういうのをあんまり意識してなかったというか好きだったというのもないし、ホントにベストテンものしか音楽というのは自分の中になかったんですよね。あとうちにステレオが入ってくるのがその前後なんで、そんなにレコードがなかったし。今考えるとブロンディとかアバがあったんだけど、ブロンディもジャケだけ見てると異様っていうか特にブロンディだと奇抜なわけじゃないですか、小学生にとってはこういう人間がいるんだくらいの感じがあって。それでその前にビートルズを聴いてたとかそういうのもなかったんでロックというのもよくわかってなくて」

「言うならば、それまでに別にこう琴線に触れる音っていうか… 」

「もっと子供の頃はポンキッキが好きでしたよ(笑)」

「(笑)ポンキッキだとなんですかね」

「最初はたいやきくん。レコードというものを認識したのはそれですね。それでポンキッキ的にもヒットしたからシングルが色々出るんですけどそれを買ったりとかLPも買っちゃいました、たいやきくんの。それはよく聴いてましたね」

「あの時代だとあとはハッスルばあちゃんとかですか?」

「それはもっと後で、ホネホネロックとかその辺ですよね」

「山口さんちのツトムくんはNHKのみんなのうたで同時期ですよね」

「そう。そっちは嫌いだった。みんなのうたじゃなくてポンキッキ派だみたいなのがあって」

カリキュラマシーンはリアルタイムで?」

「リアルタイムですね。まずおはようこどもショーを観て、だからレッドマンゴッドマンも観てて、カリキュラマシーンを観て学校に行くパターンですよね」

「カリキュラマシーンを最後まで観てて遅刻してしましたよ」

「あれ何時までだったんだろうな」

「あれ観てると、よっぽど学校に近い家じゃないと… 」

「僕の記憶だと7:45~8:15までなんですよ」

「そうそう」

「だから15分まで観ちゃうと遅刻するんですよね。だから僕は最後まで観てなかったかも」

「僕はついつい最後まで観ちゃった時に気付いたら遅れちゃったみたいな」

「そのおはようこどもショーとカリキュラマシーンの朝の記憶とセットでケロッグのコーンフレークというのがあるんですよね」

「あの当時はオマケ目当てっていうのがあったじゃないですか」

トーテムポールとか」

「今考えたら食玩ブームみたいなのがあるじゃないですか、それのハシリというか」

「まだビックリマンチョコもなかったし」

「あの時代にしてディテールの細かさっていうか、今だったら海洋堂とかありますけど、あの当時のケロッグの、これは日本では作れないのかくらいの」

「僕はソフトビニール人形は買ってたから、あれは色がついてるじゃないですか。ケロッグのおまけは色がついてないから。時代としては1976~7年ですか」

「うちらの世代くらいからそういうオマケなり、メンコとか上の世代も当然あったんですけど、そういう何か集めたものはありますか?」

「そんなにハマってたっていうほどじゃないですね」

「スーパーカーとか」

スーパーカー消しゴムとかありましたけどそんなに… 。嫌いじゃなかったし車の名前も一通り覚えたけど、空き箱いっぱいに消しゴムがあるとかそこまでじゃなかったですね。あと匂い消しゴムが流行ったんですよね、コーラの匂いがするとかお菓子の匂いがするとか」

「ボールペンで匂いがするのもありましたよね」

「あと筆箱が10面とか」

「怪獣消しゴムとかありましたよね」

ウルトラマン? 相撲やるんですよね、あれで。あんまり買わなかったですね」

「小学生の時にはそんなにモノ集めというのか、そういうのはなかったんですか」

「大体1~2回買ってやめるとか」

「その時は何かに執着するとかいう部分はなかったと?」

「あとはドラえもんとか、ドラえもんをテレビでやる前っていうか、実際はやってるんだけど(笑) それも観てたんだけど。小学何年生みたいなのを買ってて、ドラえもんが面白いってことになって単行本を買って、藤子不二雄のてんとう虫コミックスを全部集めようとしたりとか。そうこうしてるうちにまたテレビが始まってブームになっちゃったけど」

「それでYMO関連以外の音っていうのはどのくらいから聴き始めたんですか?」

「カルチャークラブって多分83年だと思うんだけど、デュランデュランとかカルチャークラブとかMTVはその辺ですよね、その辺から洋楽を聴くようになるのかな。今、DJで80’sをかける時は殆どその辺のもので」

「特に洋モノで83~4年辺りで思い入れがあったのっていうと?」

「ないですね」

「ないんすか(笑) これはよく聴いたとか」

「カルチャークラブの1枚目はよく聴いたかもしれない」

「ああ。あの当時でレコード買ったのって何ですか」

「カルチャークラブは買ってて、デュランデュランは馬鹿にしてたというか」

「YMOを先に聴いてる人ってジャパンは認めるけどデュランデュランは否定派が多かったですよね」

「カルチャークラブとデュランデュランって今だと一緒にされるんだけど結構違ったんですよね。デュランデュランは今でいうとイケメンが5人揃ったみたいな感じだけど(笑)、カルチャークラブはいきなりゲイだったりとかメンバーに黒人がいるとか」

「そういう何かいわゆるニューロマンティックとかエレポップの括りとか、何か他には?」

アートオブノイズとか色々あるけど、その後だとスクリッティポリッティになっちゃうのかな。引き続きYMO関連も聴いてたし、基本的にそんなにレコード買えないわけだけど」

「エアチェックとかしてました?」

「そんなにいうほどしてなかったかもしれない。YMOの前に歌謡曲とか聴いてた時はよくテープに録ってたかな。それはラジカセとかを使い始める時期で」

「あー、とりあえず録るのが楽しいっていう」

「そう。だからFMの今週のベストテンとかで録音してない曲が出てきたら録るみたいな。それで不思議なことにその中で特にのめり込んだ人がいなかったっていうのが幸いだった。松山千春が大好きだとかツイストはヤバいとかなんなかったのが良かったというか、そういう状況でいきなりYMOにのめり込んだから、割と歌謡曲は並列でしたね」

「僕の場合はゴダイゴでちょっとワンクッションあってYMOでしたね」

「僕はゴダイゴもベストテンの中の一つって感じでしたね」



sh-101ルビオラ(以下ル)「アライさんは大体どの辺から作り始めてたんですか?」

リョウ・アライ(以下リ)「83年末にシンセを買ったんですよね」

「ファーストシンセは何ですか?」

SH-101です。安かったから」

「(笑)あの時って悩まなかったですか? 83年って。結構ポリシンセが出始めたくらいで」

「そういうのをよくわかってなくて。あとポリシンセは高かったです。もう20万とかしたんで、そんなの買えないから。新品で一番安いのがSH-101だったんですよね、買えそうだっていう理由だけですね」

「何色のですか」

「グレーですね、店にそれしかなかったから。赤とか青とかその後に知ったことで。それでその次の年にPOLY-800っていうポリシンセで10万切るのが出たんですよね」

「それで最初はシンセ1台とラジカセみたいな感じですか」

「ラジカセっていうかコンポですね。パイオニアのPrivateシリーズの次に出たViberationというのがあって。それがダブルカセットで、マイク入力があって。Aのカセットデッキに何か音を入れて、Bのデッキにダビングする時にマイクから音を入れながら、AからBにダビングするとBに両方の音が入ると」

「同じシステムで一緒にやってた一人はそれやってました。そいつはPOLY-800が出るっていうのがアナウンスされてたんで、それが出るのを待ってやってましたけどね」

「でもSH-101はシーケンサーがあったんですよ。簡単なやつですけど。それでガイドみたいなのを最初に入れるんですけど、あとは同期出来ないから全部手弾きで入れていくっていう」

「POLY-800にも確かシーケンサーがついてて、うちらの時はそれをメインで、シーケンスを走らせて。僕も結局最初にSH-101を買おうと思ったのを我慢して、もう一人のやつはJUNO-6を中古で買ったんですよ」

JUNO-60? 黒いやつ?」

「60じゃなくて、ひとつ前。Jupiter-8Jupiter-4が上位機種でその廉価版みたいのがJUNO-6」

「それポリじゃないですよね? 6音出る? POLY-6じゃなくて?」

「じゃなくて(笑) JUNO-6なんですよ。JUNO-6からJUNO-60にいって次にJUNO-106になるんですけど。それで僕は一番に最後にJUNO-106を買ったんです。それでSH-101はどのくらい使ったんですか?」

「1~2年で、その後にDX7は買えないから… 」

「(笑)21?」

27。27だと10万切ってたんで。それとQX… 」

「シーケンサーですね」

QX21。この前ヤベ君にあげたんですけど」

「(笑)最初のシーケンサーはYAMAHA」

「それも安いからっていう理由ですよね。他にあったのはKORGかな」

「あとRolandのMCは高かったですね」

「まだMCの安いのが出る前かな。それでその後ドラムマシーンでCASIOのRZ-1、サンプリング付きの」

「サンプリング初体験ということで。最初にサンプリングした音って覚えてます?」

「覚えてないけど、レコードかな」

「へー、レコードから録ったんですか」

「マイクとか持ってなかったから」

「それでDXとQXを買った時の録音方法は?」

「さらにMTRを買ったんですよ」

「YAMAHA?」

CMX。ちょうど一通りYAMAHAから出た時代なんですよね」

「僕もQXは買わなかったですけど、MTRは買いました。CMX-1ですね」

「その前だとFOSTEXのやつくらいしかなかったからね」

「それは同時録音が2トラックしか無理でしたよね」

「A,Bって分かれてて」

「10万切る値段で買えるMTRで同時に4つ録れるのがCMXだったわけですね。それでだいぶ広がりました? 作業的にっていうか音的にも」

「そうですね」

「その時はどういう感じの曲っていうか音でした? シンセメインですよね」

「どうだったけな。今考えるとあんまり作ってなかったかな、数は」

「とりあえずその多重録音を楽しんでたっていうか」

「キーボードがそんなに達者に弾けないんで、大したこと出来ないですよね。即興で弾いたようなのを多重録音して、曲って言えないっていうか」

「その時思った音のスケッチみたいな。それでRZ-1を買って、そこからもうリズムっていうか」

「そう、それで初めてソングっていうのを組むようになって、曲の構成らしきものを意識し出すというか。あんまりヴィジョンとかそういうのはなかったですよ」

「こういう音を目指そうっていうのもなく。漠然となんか」

「音楽を作ってみたいっていう欲求だけであんまり細かいアイディアとかそういうのはなかったかもしれないですね、いまだにないかもしれないけど(笑)」

「で、RZはサンプラー機能が付いてるじゃないですか、そこで制作スタイルが何か変わったっていうか、そういうのは何かなかったんですか」

「ドラムマシーンを買ったことによって、」

「リズムに対して意識が」

「そう」

「あとあの当時だと自分の理想に対して出せる音のギャップってあったじゃないですか。本当はProphetみたいな音が出したいのに、自分のシンセでは出せないみたいなジレンマはなかったですか?」

「そのDXの時代はProphetの時代でもなかったから音的にというよりクオリティ的にとテクニック的なことのギャップを感じてましたね」

「サンプラーが手に入ると欲しい音はそのまま録っちゃえって出来るようになったわけじゃないですか」

「そう、スネアとかね」

「そこでクオリティっていうか自分の理想に近くなった感じですか? サンプラーが自分のシステムに導入された時は。その当時はサンプリング出来る時間も短いんで、そこまでフルには活用出来なかったと思うんですけど」

「何か言われてみると理想はその当時聴いてた音楽とかあるにしても、あんまりこういう音を作りたいとかそういうのはあんまりなくて、全体としてのクオリティ、聴いた時の全体のクオリティとかはあるんだけど、最初に絵を描いてみたいなことをいまだにあんまりやらないかもしれない。いじってその場の面白さで結構やっちゃうタイプっていうか。こういう音楽が作りたいからこういう音を探してっていうのはあんまりなくて」

「偶然出来た音からイメージを膨らますっていう」

「あと今考えると音楽的に高度なというかアレンジとはなんだとか音楽の構造とはなんだとか、そういうのをわからないでやってるから。考えてみれば高度なことをやってるんですよ、そういう宅録って。作曲っていう前にいきなりアレンジっていうかレコーディングみたいなことをやってるわけじゃないですか。ちゃんと曲を作るっていうのをやる前にプロがやってるレコーディングの縮小版みたいなのをいきなりやり始めてるわけだから」

「それまでの作曲法って言ったら、ギターとかピアノをつま弾きながら、メロディを口ずさむみたいな」

「ピアノでメロディを作るとか全部そういうのをすっ飛ばして、いきなりそういうことをやってるわけですからね」

「それでドラマーとしてというかバンドはいつ位から?」

「高2ですね」

「最初からドラマー?」

「そうそう。だからシンセ買って家でやってたんだけど、ピアノとか弾けないから、いわゆるキーボードとしては出来ないから。ドラムは前からやりたかったんですよね」

「ドラムは練習とかしてたんですか?」

「YMOを聴いてる頃からリズムに耳がいってたんですよね、一番わかりやすいっていうか、聴きながら一緒に出来るみたいな。例えばロックバンドとかヘビメタとかで聴いて観て自分もマネしたくなる、そういう音楽だったらギターなんだろうけど、YMOを聴いてて気が付いたらリズムとってたみたいなことがあってドラムをやってみたいなと。音楽を構築したいのとは別にあって。あとシンセ買った時も小さい頃からピアノを習ってたという子供じゃなかったんで習ったんですよ。すぐバラバラ弾けるようにはならなくて難しいなっていうのがあってドラム」

「それで宅録をやりつつ、ドラマーとしてはずっと」

「学校とか友達ではバンドやって、家帰ると宅録やってっていう感じで」

「自分が作った曲で自分がドラマーでそれをバンドでやるっていうのは考えなかったですか?」

「自分で作る曲はドラムマシーンとかでやって、要するにドラムという楽器を演奏するのはロックだと」

「線引きがもうあったと」

「周りに宅録でやってたような音楽が好きな人がいなかったし」

「常に割と一人だったんですね(笑) このフィールドにおいては。高校時代もテクノじゃないけどニューウエイヴとかそういう人は… 」

「レコード買ってるとかそういう人はいたかもしれないけど、マニアックな人はいなかったですね」

「ましてや作ってる人なんて」

「まだギターを買って持ってるスゲーみたいな時代なんで。それで持ってる奴はその当時だとヘビメタだからね」

「メタル全盛ですよね。特にジャパニーズメタル。まぁテクノの冬の時期だったりして」

「だから密かな楽しみっていうかそういう感じでしたよね。宅録っていう言葉も一般に知られるような言葉じゃなかったし」

「どういう過程でシステムが増えていったんですか? いわゆるちゃんとしたサンプラーは最初何を買ったんですか?」

「最初はAKAIのS612ですか、国産第1号」

「(笑)612を買ったんですか」

「でもそれ出てからだいぶ後になってからですね、もの凄く安くなってて」

「次の700とか900とか出てた、」

「ぐらいだったのかな。もの凄く安くて、店で20万で売ってて、それを僕は10万しか持ってないから10万にしてくれって言ったら10万で売ってくれたんですよ」

「(笑)」

「1時間くらい店の人が考えてて。よっぽどこれ処分したかったのかなと。でも買ってもマルチティンバーじゃないからジャンって入れたらジャンしか出ないから音階を変える位しか出来ないんで、たいして使った記憶ないですけどね」

「僕は今2台持ってるんですけど(笑)」

「S612を?」

「僕は後で凄いジャンクで売ってたやつを2回に分けて買ったんですけど、あれってハーバートとかいまだに使ってますし」

「フィルターとかがツマミだったんでそこが良かったっていうのとstart/endポイントがスライダーでね」

「あれが凄いですよね。あれは他のサンプラーでもやってほしいと思うんですけど、あれだけでしたね。それでstartとendを逆にすると音がreverseになるっていう」

「あと再生しながらstartポイントをズラすと徐々に音が変わる」

「あれがハーバートがずっと手放さない理由だと思うんですけど」

「だからそんな感じで曲を作るとかじゃなくて音入れて遊んで終わりみたいな。今だったらそういうのも作品みたいな概念もあるけど」

「それで次に?」

M1ですよね。もう機材がバラバラで繋いだり並べたりするのが面倒臭いと」

「M1ってオールインワンシンセのハシリみたいな」

「そうです。それでMTRもやらなくていいし、シンク信号も入れなくていいし、それでやっと曲を作る気になるって感じでしたね」

「じゃーM1を買った時はそれ1台で、そこからステレオアウトして録音する」

「それでもまだフロッピーがなかったんで録音したら終わりみたいな状態ですよね。大体1曲分くらいしかデータが入らないし。M1の時にやっと音を楽に重ねられることが出来た」

「やっぱりM1がきっかけでした? 曲っぽい曲っていうのは」

「それまでもちょっとはやってたけど気軽には出来なかったから、サクサクとは」

「僕もそうなんですけど。僕は最初にSY77と何かを繋いだりしてやっぱりオールインワンが出たことでだいぶモチベーションが上がったというか」

「何かYAMAHAの音はDXを使ってたから飽きてて、僕はM1だったんですよね」

「その後圧倒的にKORG派なんですけど、あの当時ってKORGって扱いにくいイメージっていうか音は好きなのに使いにくいっていう」

「でもYAMAHAのアルゴリズムとか全然理解してなかったんで」

「(笑)あれはね、もう」

「最初のSH-101は適当にやっても面白い音が出るんだけど、DXは滅茶苦茶やっても変な音にならないからね。その時は迷いなくM1でしたよ。それも音作りは出来ないんだけどプリセットの音が良かったんで」

「M1ってことはW30にはいかなかったですか?」

「それは知らなかったかも。M1でかなり満足してたから」

「一番正解だと思いますけどね。すぐ使えるっていうか。W30はローランドの当時の面倒臭いところはいちいちシステムディスクを最初に読み込ませてからじゃないとシーケンサーとかそういうのが使えないっていう」

「Rolandはその前にD-50っていうのがあって、それは割とヒットした。マルチティンバーだったとは思うんだけどシーケンサーがついてなくて、その後にM1が出たからRolandがオールインワンから乗り遅れたっていうのが一瞬あって、W30はその後だと思うんですけど。それでM1は良かったんだけどデータとかを落とせないから、それで次にT3EXっていうのを買うんです」

「T3はかなり使える音が入ってますよね」

「M1の音プラスさらに倍に新しい音が入っててフロッピーもついてたから、データも残せるってことになって、よりサクサク出来るようになったと」

「あの当時だとTシリーズがテクノとかハウスに適したっていうか殆ど使えるやつばっか入ってたですよね」

「でもね、ドラムの音がダメだと思った」

「あー、でもあれでもマシなんですよ、あの当時では」

「いやでも僕が当時聴いた記憶だとドラムの音に関してはRolandとかYAMAHAの方が」

「でもYAMAHAは何か変なアレを引き摺ってて音が固かったんですよね。だからいい意味でも悪い意味でも80年代の終わりとか90年代初めとかずっとその音できてたんで、完全に90年代に入ってしまうとクラブ系の音作りという部分でどうしてもキックとかスネアが凄い固いとか使いにくかった」

「逆にM1とかT3に入ってるのはショボイんだよね、ドラムの音が。何か生っぽい音でもないし、クラブ系の音でもないしっていう感じでドラムに関しては結構ダメだなと思ってて」

「その当時作ってた曲はどういう感じだったんですか、90年前後っていうか、M1以降は」

「割となんだろうな、ジャンルでは言えないですけど、リスニング系ですね」

「RZ-1を買って以降リズムを打ち込むようになってダンス? っていうか」

「RZ-1を使ってた時はダンスっていうかエレクトロっぽかった感じはあるんだけど、90年前後ってエレクトロでもなく、クラブ系はまだ聴いてなくて」

「リスニング系ってどんなのでしょうね? その後にいくアンビエントでもなく?」

「何か普通にCM音楽っぽいっていうか」

「その時の楽曲のメインとなってる部分はどういう感じですか? メロディとかコードとか」

「メロディもコードもあるし」

「割と普通に曲として構成されてる… 」

「そういうのもあるし、そうじゃないのもあるけど。割とエレクトロニカですね(笑)」

「(笑)今で言う。なるほど」

「ハウスっぽいのもちょっと作ったりとかしてたけど」

「それは遊び程度で?」

「どの辺が遊びとかあまり区切りがないんだけど習作みたいなものですかね、色んなタイプのものを作って」

「その時は誰かに依頼されて作ったとかそういう段階ではなかった?」

「全然ないですよ。バンドも平行してやってたんで。だからバンドブームだったし、そこでデビューとかになってたら、ただの趣味に終わってたかもしれないっていうか、そういう家で作ってるようなやつを、これよく言ってるけど、CDとかで出せるとかが全然見えなかったんで」

「せいぜいラジオのデモテープコーナーで紹介されるとか(笑)」

「だからCM音楽家じゃないけど割とオールマイティーなものを目指してたっていうか、その時は」




T3EXルビオラ(以下ル)「ファーストを出すまでの経緯としては?」

リョウ・アライ(以下リ)「それで一応テクノブームっていうかそういうのが来て、アンビエントとか。割とそっちよりなものも作り始めていって、その中の1曲がFROGMANの最初のコンピに入ってるわけだけど、それはT3で1台で作ってるやつで」

「へー(笑) じゃファーストの”Again”もT3の音を?」

「T3はメインですね」

「(笑)そう思ってまた聴き直します」

「T3とSC-88ASR-10ですね」

「その時のサンプラーもASRだったんですか」

「サンプラーはそれしか持ってなかったんで。その前からだから、もう12年くらい使ってる」

「S612とかは全然使わず」

「全然使ってないですね。押し入れ行きですね」

「押し入れでもそうとう邪魔じゃないですか(笑)」

「だからどうしようかなみたいな。それでASRを買う時にAKAIを買うかRolandを買うかEnsoniqを買うか迷って結局EnsoniqにしたのはメモリがAKAIだと標準が2Mだったんですよね、それでエフェクトもないと。そこへきてEnsoniqはメモリがいきなり標準で16Mでエフェクトも入ってると。それでこれしかないって感じで。周りで誰も買ってなかったですけどね(笑)」

「その時のT3とSC-88とASR-10は卓に通してDATとかに?」

「そうですね」

「その当時ミキサーは何使ってたんですか?」

「最初の”Again”の時はSoundCraftのやつですね。もうMackieの16chとか出てたと思うけど」

「あー、高かったですよね、最初は」

「値段とルックスでSoundCraftのを選んで。ミュートボタンとかついてなくて、キーボード用のミキサーっていうか。どっちみちキーボード類しかないから。それでやってましたね。だからエフェクターはSC-88も入ってるし、T3も入ってるし、ASRも入ってるから外部エフェクターはないんですよ。全部各々内蔵のを駆使してやったっていう。それでM1とかT3で1台だけで作った時からASRとSC-88を増やして、SCで久々にRolandのを使って。KORGの音にも飽きてたから良かったですけどね。SH-101とかの感じで音作り出来たし。KORGのはレゾナンスとかなかったから。それで”Again”の時はSCのフィルターが段々開いていく感じとかをプログラムで入れたりとかしてて」

「”Again“を作る前に意識したことはありますか? その当時聴いてたものとか」

theOrbとかそういうものを聴いてたんだけど、兎に角世間的にそういう音楽はマイナーであると」

「ハイ(笑) あとは特にレーベル側からこうしてくれとか… 」

「全くなかったです。FROGMANはEPとか出してたけど、当時フロア対応の4つ打ちとか作ってなかったから、いきなりCDアルバムでって言われて喜んでって感じで作って。EPというよりかはアルバムの方が自分に合ってるからそれは良かったですけど。4つ打ちとかもやってるんだけど、そんなに僕もクラブシーンとかにドップリはまってたわけじゃないから、自分のそういうスタンスもありつつ、もうちょっとこうポピュラーに聴かれるようにっていうその辺のバランスですね。かといってポップスを作るわけじゃないから」

「ブレイクビーツっていうかそっちに行く意識は”Again”の時にあったんですか?」

「その前にも少しそういうのを作ってたけど、そんなに自分の中では、」

「これはまだ出すものではないみたいな感じですか」

「そうそうそう。ブレイクビーツっていうのが曖昧じゃないですか」

「あの当時だと出せるレーベル自体もなかったですしね」

「なかったし、アルバムの世界でブレイクビーツを表現する程まだブレイクビーツにのめり込んでもなかったし、割と曖昧っていうか全部ブレイクビーツでアルバムっていう感じというまでもなかったし。一応”Again”にもブレイクビーツの曲はあるんだけど、逆に4つ打ちみたいなのをちゃんとやろうかなというのもあって。当時のブレイクビーツシーンみたいなのは全然見えてなかったですね。でも”Again”を作ったすぐ後ですね、ブレイクビーツとかトリップホップとか聴くようになるんで。”Again”を作った時点でアンビエントにも区切りがついたし」

「その時に心境の変化というか、そういうのがあったんですね」

「その頃からサンプリングっていうものにまた意識的になるっていうか。それでサンプリング中心のトラックに変わっていって、その中の何曲は”circuit’72“に入ってたりするんだけど。ただその前の97年にゲームのサントラがあってゲームの制約というのもあって内蔵音源とか発音数の問題とか色々あってテクノを作るのが合ってるかなと。僕も4つ打ちテクノはわからないなというのがありつつ、もうちょっとやってみようかなというのもあって、”Again”がありつつ、もうちょっとそれを押し進めた形で。それで曲数が多いからミニマルテクノとかだけじゃなくてドラムンベースとか結局色々あったりするんだけど」

「その後にsoupに移っていくっていう経緯は?」

「それでゲームが完成してガイドブックを作るってなった時に音楽を担当した僕のインタビューを載せるっていうことになってインタビュアーに来たのがたまたまsoupの人だったんです。それでその時にsoup-diskっていうのは知らなかったんだけどレーベルやってる人ってことで音源もらって、こういうのもあるのかと思って、これだったら僕がこの先いきたい方向性と一致するような気がしたんでテープを渡したんです」

「僕はアライさんのでsoupのを初めて買ったんで、それまでのsoupのバックグランドがわからなかったですね」

「その時にスズキスキーとスギモトさんのが出てたんですね。それはホントに偶然な出会いでしたね。それなかったらsoupとか知ってたかどうかわからなかったし。日本にこういう傾向のレーベルがあるんだって」

「やはりアライさんが入ってsoupの印象が変わりましたね。アライさんがいなかったらまた全然別の感じになってただろうし」

「大体トリップホップとかドラムンベースとかの感じで機材システム的にはどんどんマイナスになってきてサンプラーだけになっていくんですけど」

「段々積み上げてったものを下げていくような作業というか」

「今もどうやって作ってるんですかってよく訊かれるんですけど、基本的にはシーケンサーとサンプラーだけっていう」

「何かこういうモノが欲しいというのはないですか? システム的に。今のスタンスで満足してるというか」

「満足はしてないですね。例えばソフトで言えばソフトシンセ一つとってみても、僕はPerformerというソフトをずっと使ってるんだけど、例えばLogicには最初からソフトシンセが入ってるんだけどDigital Performerには入ってないっていうのがあって今度新しいヴァージョンからやっと入ったんだけど、まだ使えないとか重いとかね、単純にそういうのもあるし、細かい不満とかそういうのはありますけどね」

「PCベースで考えるとまだかつてのM1が出た時のような利便性というか、」

「だからM1はM1の音しか使えないんだけど、そこを無視すればオールインワンということで出来るわけじゃないですか。それで意外とソフトだとサクサク出来ない。いくつもソフトを立ち上げたりとかCPUパワーがいるとかメモリがどうしたこうしたで意外と出来ないみたいなのがあって、そこが不満といえば不満ですよね。だからもうちょっとメロディがあるものとかシンセを使ったものとかもやりたいんだけど、いまいちそれがサクサクと出来るソフトがないですよね。サンプラーもソフトで単体ではあるんだけど、他のも全部立ち上げたら重いみたいなのがあるわけじゃないですか。その辺が何でもっと軽く出来ないのかなっていう。今殆どの人がそれをやってると思うんですけど、自分にとってはまだ面倒臭いですよね。サンプラーでMIDI打ち込みの方が早いみたいなのはまだ全然あるから。ソフトでやってる作品もあるんだけど、ソロアルバムではサンプラーでMIDIっていうのがいまだに基本で。それはそれでそれの制約があるんだけども。その辺が歯痒いですよね。オールインワンソフトというかそういうのが出ればまた違った作品を作りたいですけどね。例えば”Again”でやってたことを全部一つのソフトでやりたいんですけど、なんで出来ないんですかね?(笑)」

「(笑)」

「かといって昔のシステムに戻る気もないし。一応M1の音が出るソフトはあるんですよ。それは結構忠実に再現されてるからいいんだけど、それを立ち上げてPerformer立ち上げてとか考えていくと途端に面倒臭くなる手軽じゃない感じはなんだろって」

「アライさんはWindowsに移行する気は全くなしですか?」

「全くなしですね」



ルビオラ(以下ル)「MP3の話になりますが、これは自分からやろうっていう感じだったんですか、誰かにやったらいいよって言われたとか」

リョウ・アライ(以下リ)「いや全然。97年からインターネットを始めて軽い気持ちでHPも作って、コンテンツ的に大したこと出来なくて。そんなに自分の情報もないし。最初は日記とかも書いてたけど、そんなに毎日書けないし。一応音楽やってるし音的なことを何か出来ないかと思ってて。その時は音を載せるとしたらrealaudioが主流で、あの当時はダイヤル回線でいまいちすぐ聴けなかったりとか途中で止まったりとかしてて、結構イヤだなとか思ってて。それでどうしようかなと思った時にMP3っていうのを発見したんですね。これならいけんじゃないかって話で。それでやり出したら結構ハマったっていうか。それやり出したのは”circuit’72″の後なんだけど、2枚目っていうのは苦労したっていうか”Again”的な世界観とかテクノ的なものから一気に変わるから、そこをどうまとめようかなっていうのがあって。アルバムとなると結構意識しちゃうから、それはそれで不自由な感じもしたし、サンプリング中心でもっと自分がどんなことが出来るのかっていうのを、色々また習作になっちゃうんだけど、どんどんやってみるっていうか。それのモチベーションとしてMP3っていうのが良かったんですよね。今までだとCDで出したりとか発売しないと皆に聴いてもらえなかったのが、いきなり聴いてもらえるっていう状況が出来て」

「出来たばっかりのものをすぐ配信して反応が見れるっていう」

「それが結構画期的なことで。今までなかったことじゃないですか。CDRも身近じゃない時代だから。今だったら焼いて物販するなり人に渡すなり出来るけど、そういう感じでもないし、いきなり不特定多数にデータでそれが出来るというのがあって。それでもうハマっちゃって。アルバム構成とかそういうのを全部とっぱらった上で凄い自由に出来たっていうか。それで加速したわけですよ」

「でもいったら1曲丸々upしてるわけじゃないですか。だから普通のアーティストっていうか曲作ってる人だったら著作権どうのこうのじゃないですけど、タダで配信するのはどうかみたいな人もいると思うんですけど、その辺はどうだったんですか、もう普通にあげちゃえみたいな」

「そういうこともチラッと考えたかもしれないけど、兎に角発売とか前提にしないで、まず自分の中でどんどん作りたかったっていうのがあって。スケッチみたいな感覚でどんどん作っていって鍛えないとダメだというのがあって。でもそれを家でただ黙々とやってるんじゃつまらないから、そういう気持ちとMP3があるっていうのを知ったのが同時期に起こったっていうか。それで有料にするっていってもシステム的に難しいし、だから結構やっちゃえ的な感じですよね。それで完成形とか新曲だとかそういうことは言う気もなくてデモのつもりでもいいしみたいな感じで」

「でもupする前の段階というか、自分なりの完成形としてupするのか、これはもう出来が良過ぎるんでちょっとupするのは勿体ないとか、これはちょっと恥ずかしくてup出来ないやとかそういうのがあったりとかしたりとかは? 一応アライさんの中で選曲してupするんですかね?」

「いやーでも、タダのボツっていうのはあるけど、そのボツとかアルバムを作る時は余計なことを考えちゃうんですね。凄くなきゃいけないんじゃないかとかクオリティ高くなきゃいけないんじゃないかとか、そういうことから一切解放されたかったので割とその辺は自由に。ダメな曲っていうか明らかに自分でダメだなと思ったら勿論upしないけれども、もうちょっと何かダメとかイイとかじゃない次元で、ホントにスケッチっていうか、そうやって完成度よりかは絵でいうとどんどん描いていくみたいな感じで。それをHPでとりあえず見せちゃうみたいな意識でやってて。だから時間はかけてなくて大体1日とかで仕上げちゃう感じにして。曲も最初HPの容量が少なくて長い曲はup出来ないから大体2~3分で終わりみたいなことで。だから勿体ないとか特にそういうのは考えなかったですね」

「それでその後ずっとリリースしてきて、特にレーベル側からのアレはないですか、気軽にそんな曲をupしないでくれみたいな」

「それはないですね」

「今まで全くなし?」

「全くないですね。実際ここ数年はモチベーションが下がってupしてないんだけども、最初の1~2年っていうのは凄くて、それに関しては何にも言われなかったし、最終的にはそこに吐き出したものの中から選んで12インチにもしたし、またその過程を経てつかんだ手法なりが次のアルバムに生かされるっていうことで。それでもアルバムはアルバムの重圧を感じながら作ることには変わりないんだけど。その辺は意識の違いっていうかアルバムっていうことで意識して作る曲と何も考えないで作る曲っていうのは違うっていう辺りを意識的にわざとやったっていうのがあって。アルバムはそのMP3の好き勝手作った中からいいのを選べばそれでいいじゃんっていうのもあったけど、そこはなんですかね(笑)、アルバムはアルバムでまたやんなきゃいけないというね。MP3だと割とアッパーめな曲とか好き勝手にその日の気分で作ってる感じでやってたんだけど、アルバムとしての重みっていうんですか、”mind edit”はそういうのが反映された内容になったんです。それで同時にLIVEもその頃からまたやるようになったからLIVE用のトラックっていうのもそのMP3は兼ねてたんですよね。それでアッパーめな曲とかSPOTLIGHTに最初に出た時とか受けてたから、その辺で割とビート路線の感じになってったのかな」

「それでMP3でNongeneticのが生まれたりとかあるわけですけど、またモチベーションが上がってきたら、どんどんupしようかなっていうのはありますか?」

「やり始めたのは98年でなんだかんだ8年前なんですよね。リスト見るとわかるんだけど、ここ3~4年は殆どupしてなくて、今blog上でもそのページも見れないようにしてるくらいなんだけど。それで去年の年末に過去の200曲大量upっていうのをやった。最初にMP3を始めた時の動機とかは今はちょっともうないんで、大体どういうことになるか、MP3を段々やっていくうちに曲じゃないようなものとかギャグものとか色んなシリーズがあって、結局アルバムはアルバムみたいなこともあったし、自分がステップアップするためにいっぱいデッサンしたっていうのに近いノリだから」

「去年言ってたじゃないですか、MP3のアルバム10枚組みたいな。そういうのはないんですか?」

「まー現実的に300曲入っててMP3でCDR1枚でいくらにするっていう問題があるんで難しいですね。あとMP3を始めた動機をいくつか言いましたけど、こういうことをやってることによって僕のことを知ってほしいと、そのためにはタダで配信するのも厭わないというつもりもあって。プロモーションというか結果的にはアルバムが売れないといけないんで。でも結局そこに直結してないっていうか、タダで落とせる落とせるって言って、それしか聴いてないっていう奴も結構いるようだから、もうイヤだなと。それで知ってくれたり、いいなと思ってくれたり」

「きっかけになればいいですよね」

「そういう人もいるんだけどそうじゃない人もいっぱいいるんですよ。CDは買わないけどMP3だけ落としてればいいっていうようなことも当然あるし、それもわかってて何百曲もupしてるわけだけど、もう役目は終わったっていうような感じもありますよね。あと例えば前にやった”iBeat”っていう曲とかは40分あって、その40分をリリースするとかだと手軽には出来ないんで、そういう曲をupしたりとか、いくらでもやりようは色々あるんですけど、大体そこで出来ることっていうのも決まってきちゃうっていうか。あとデータ配信っていうかMP3だけやっても食えないし、それでいくらいいトラックをupしてても、リリースしていいトラックって評価される感じとは別なんですよね。ある程度HPのMP3はMP3で色々面白いことは出来たし、色々やったけれどもある種の結論が出たっていうか、その中で出来ること得られること、反応とか可能性とかそういうのを含めてると大体ね。結局MP3を何百曲upしようが別キャリアにはならないっていうかリリースしたものには勝てないというか。だから自分で曲作ってCDとか出したりするのは色々大変じゃないですか、プロモーションしたりなんだり。そういうのを全部すっ飛ばしてHPで曲をupすれば、それで皆が聴ける状態なわけだけども、有料にするには難しいとか、そこで何百曲upしようが、アルバム10枚分くらいupしようが、アルバムをホントに10枚出した価値とは同等にならないっていう。逆にホントにそこで完結すればCDとか出さないってとこまでいく可能性もあるわけだけど、世の中そんなに甘くないっていうか」

「(笑)いやでも、それだけの数をupする人はまずいないですよね」

「だから今はやる意味がないかなーっていう。何かもう普通に曲をupしてもね。最初こそ、その自分のためだとかスケッチとかそういうのがあったけど、今はあんまりそういうのもね。あれだけの数やったことによって漸く勿体ないっていう気分になってきたというか」

「(笑)」

「あとリリース出来ないとか、そういうのも今だったらCDRで出しちゃえばいいっていう手もあるにはあるし難しいですよね。あとiTunes Storeも始まったし、自分の作品もデータで買えるっていうことも可能になってきたんで。その上でさらに自分のHPでMP3をやるとしたら逆に差別化っていう意味で何をすればいいんだろうっていうのはある。だから今例えば僕が映像作家だったらYouTubeで大量upっていうかクオリティを考えずにどんどん制約ナシに撮りたいものを撮って、どんどんupしてどんどん皆に見てもらうっていう、そういうことは出来ますよね。危ういとこではありますよね、商品化とそうじゃない違いとか考えさせられたし」



ルビオラ(以下ル)DJMJ名義のMIXCDをリリースされた事で、今後のModeDownについての展望・野望などをちょっと… 」

リョウ・アライ(以下リ)「まーMixCDを出したのもイベントを録音したのを聴いてて、これは出したら面白いんじゃないかっていうテイクが録れてたのがきっかけなんで、あんまり計画的じゃなかったんです。内容が内容なんで、どういう反応がくるか全く予想出来なかったし、全然受けなくてもいいやという気持ちで。ギャグといえばギャグ。カッコイイとかカッコ悪いとか展望とか野望とかはModeDownに対しては持たないようにしてて」

「かなり投げやりな感じですねー(笑)でも逆に潔いというか・・」

「色々考えると楽しくなくなるような気もするし、自分のイベントくらいは気軽に楽しいことに徹したいというか。それでも10回以上もやってると形が出来てくるところがあるんですけど、理屈でやってないところがあって、それでお客さんが入ってくれれば言う事ないって感じですね」

「当たり前ですけど定着するイベントって、やはりやり続けないと定着しないんで。でもそのモチベーションを保つには主催者が一番楽しめなきゃと思います。その点ではアライさんが一番楽しんでますよね?(笑)」

「自分が楽しくなきゃやる意味がないと思ってるから。少数かもしれないけど、幸いその楽しさがお客さんに伝わってるし」

「僕的にはリョウアライのライブも見れて、DJMJも聴けて、トークも聴ける(笑) という一粒で二度以上美味しいイベントだし、未体験の人には是非一度見て欲しいですよね。いっそのこと「ビートたけしの○○○」とか「タモリの○○○」みたいに冠つけたらどーですか? 「リョウアライのモードダウン」って、ダメですか?」

「それつけるかつけないかはセンスの問題かと。僕は特につけたいと思わないですね。ホントにテレビ番組みたいになってしまうし」

「すみません。面白くなければテレビじゃない世代なもんで(笑)」

「それ言うなら『楽しくなれければテレビじゃない フジテレビ』ですね」

「失礼しましたっ。でも今のテレビよりかはModeDownの方が断然面白いでしょう。で、最近テレビ見てますか? ってまた話それますが…」

「当たり前的につけて見るっていうのはイヤで、大体観たいものを録画して観るという感じですね。部屋の中で音消してつけっぱなしの人がいるけど、あれは抵抗がある」

「確かにそうですね。やっぱり今は皆、画質や音質悪くても自分の見たいものが見れるYouTubeにいきますもんね。アライさん的に最近YouTubeでオッ? と思ったのってありました?」

「特にないっていうかハマって何かを懸命に探したりっていうのはないですね。飽きるのが早かったかも。TV観ないでYouTubeを観てるというわけでもないので」

「話をちょっと戻しまして、RATN等プロデューサー的な部分の頭角も出てきましたが、そういった課外活動は今後増えていきますかね?」

「どうかな? オファーがあればやりますが。こればっかりはなんとも。RATNにしてもツジコから話があったのが発端だったし、Nongeneticの時もwebにupしてたMP3からっていう偶発的なことがきっかけだったんで。 リミックスとかコンピ参加とかソロアルバム以外は全部課外活動といえばそうなんで、そういった意味ではいつでもOKですけど」

「もちろんアライさんのファンならソロの新譜を一番期待してると思うんですけど、それぞれの課外活動にも同様にファンというか、そういうのを期待してるリスナーも結構居ると思いますんで、その辺は今後にこうご期待という事ですね」

「いつでもやる体制ではありますよ。ただ課外活動は相手があってのことなんで。計画的に出来そうで出来ないです」

「ご利用は計画的にとはいかないもんですね。例えば、こういうのやってみたいっていう課外活動はありますか? 昔の相場はアイドルに曲書いてみたいな時代がありましたが」

「基本的に好きにやらせてくれるんであれば何でもやりたいとしか言いようがない。あと発想的にはこういうのやってみたいという妄想は既になくて、実際はもっと現実的というか、目の前の状況に対してどうするとかそういう感じです」

「アライさんでも昔は妄想したりしました? 誰かをプロデュースしてみたい的な?」

「具体的に誰というのはないですけど、そういう類いの仕事をやりたいかやりたくないかって言われたらやりたいという位で」

「BACK TO THE THE 80’sしちゃったと仮定して、松田聖子マイケルジャクソンどちらか? と言われれば?」

「現実味がない質問ですね(笑) まービジネス的には当然マイケルでしょうね」

「今一番気になってるものって何でしょう? いきなり漠然としてますが」

「漠然としてますね(笑) 仕事といえば仕事だし、その他で一番気になるっていう次元のものはわからないです」

「いや〜逆に僕が気になったのが、先ほどリリースされたMIXCDのタイトルが”DISCO SURVIVAL”。そして今月リリースされる新譜のタイトルが”SURVIVAL SEVEN“! SEVENというのはアライさんにとって7枚目のアルバムって事だと予想できるんですけど、この”SURVIVAL”って言葉に拘ったのには何か?」

「7枚目ということもあるし、エウレカセブンのサントラにも関わったから『なんとかセブン』っていうタイトルにしようというのは思ってて。サヴァイヴァルっていうのは大体今までもブレスレットとかデヴァイスとかマインドとかあったけど、意味は後付けというか、僕がピンときた単語の響きってことですけど。たまたま3月のModeDownの時に”DISCO SURVIVAL”っていうキーワードが出たのでもうサヴァイヴァルだなと。スペルも響きもいいし、大体こういう活動自体がサヴァイヴァルだと思うし、時代的にも」

「なるほど、アライさんはタイトルとか結構スペルとか響きを凄く大事にしますよね」

「なんか言い辛いタイトルとか覚えにくいのはイヤじゃないですか」

「いやぁ〜ほんと、セブンだけにウルトラ・サヴァイヴァルな時代にならないで欲しいもんですよ(笑)」

「でも今、世界情勢的にはサヴァイヴァルな感じですよ(笑)」

「あっ! あと七枚目でセブンとくれば、12枚目は○○スペルとかスペル○○とかいっときますか?(笑) リリース直後に廃盤とか(笑)」

「それはルビオラさんがやって下さい(笑)」

「わかりました(笑) でも12枚目って・・・(笑)」

「10年後の自分はどういう活動をしているか? って考えます? やっぱり配信してますか? CDは出してませんよね? というかメディアがすっかり代わってると思いますが・・・」

「正直、10年後とか先のことは考えても仕方ないので考えないですね。10年前も考えなかったし、考えたとしてもその通りにいかないし、その通りにしか行動しないっていうのもつまらないですからね。活動出来てるだけでも有り難いと(笑) 配信に関してはもうされてるはされてますからね。ただちゃんと定着するかどうか疑問な感じです。CDというメディアは僕は好きなんで残っててほしいですね。やはり配信だけになるっていうのは考えにくいし、DVD-AUDIOとか別のメディアになるっていうのも考えにくい。レコードからCDに変わったのと同じようにいかないような気がしますね」

「確かにそうですね。 でも僕らの世代、正直レコードやテープを聴いてた時にCDなんてものが登場する事は想像し得なかったですよね? 今あーだこーだ言ってるメディアは定着しなくて、全く違うモノが出てくるんじゃないかと思ったりもするんですけど。まぁメディアの話は抜きにして、10年後も作品をちゃんとした形でリリースできる場があると良いですね。今回は長々とお付き合い頂き有難う御座いました」

「こちらこそありがとうございました」


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